内的家族システム(IFS)の著書「悪い私はいない」から学んだことの備忘録です。今回は8章「ビジョンと目的」です。
8章:ビジョンと目的
セルフ主導になると人生のビジョンがより明確になり、物事の優先順位が変わってくることもあります。
快楽的な防衛パーツの誕生
防衛パーツの人生の目標はあなたをあらゆる苦痛、恥、孤独、恐怖から遠ざけることにあり、その目標を達成するために、成功、食べ物、他者の世話、瞑想、お金などを道具として使います。
思い当たることがありすぎて恥ずかしくなるレベル。私が物質的なものを追い求めるようになったのはいつのことだろう。高校生くらいかな、大学受験で「都会へ!有名大学へ行きたい!」と思ったのをよく覚えてます。学びたい勉強ではなく「すごい所」と思ったことを。今でもふと思うのです、大学の知名度に拘らず、地元の国立大学でのんびり勉強してたらどんな人生になったかな、と。同じ過ちを私は犯したのだろうか。
エグザイルの数が多いほど快楽的、自己中心的、解離的
悲惨なことに、追放されたエグザイルが多いほど防衛パーツがより快楽的に、自己中心的に、そして自己解離します。
一見人に多く与えてるように見える人でも「他人からの徳が高い」という評価を重視してることが多くあります
これは…世話好きな人にある「親切の強要」だな〜。色々思い返すシーンがありすぎる。一見親切な人なのに一緒にいるとすごくしんどい人って一定数います。相手の要求に答えてるのではなく、自分が相手にしたいことを押し付けてるだけ、なんだよな。だからしんどくなる。
「社会的に立派であるという評価」を得るために生きてる人も同じく。身近にいる人はその人の人生を立派に見せる装飾品でしかないから、一見満たされてるようで全然幸せじゃない。親世代ほど多い気がします。まだ今ほど多様性が認められてなかった時代。
人が嫌がってること、迷惑がってることを「あなたのため」だと近づいて自分の人生に都合の良いように巻き込む。結局は自分の欲を満たし、他人を不幸にしてるだけ。なんと大きなカルマなんだろう。
防衛パーツの重荷を下ろす
エグザイルを守るために暴走した防衛パーツがその重荷を下ろすとどうなるか。
- 芸術を創造したり、体を動かしたいパーツ
- 家族や友人と遊びたいパーツ
- 自然の中にいることをただ愛するパーツ
執着や衝動にとらわれないパーツが現れます。
これって、何もかも嫌になって、もう全部やめちゃかな、と思った時に現れる感情。執着を手放すことでセルフが満たされていく、この逆転現象。忘れないようにしよう。
人々がセルフとしてある時、すぐに自分からの目的を感じることができるでしょう。次の活動を焦って計画したり、より快楽的なことに執着する代わりに今この瞬間を体で体験しながら生きれるようになります。
おぉ…深い。私はまだなんだか毎日よくわからず過ごしてるので迷走中ですね。へへへ。何が見えてくるか、これからのお楽しみだー。
人生の変化と反動
セルフ主導になりそうになると、防衛パーツが抵抗するのはよくあることです。
そりゃそうだわな〜、正しいと思ってきた物質的な価値観が否定され、精神的な充足重視の生き方になるんだもん。自分でも自分にびっくりしちゃうと思う。
沢山のお金、高い評価、賞賛、名誉…何か大きなことをなすために自分の可能性を逆に抑圧するのではなく、小さな美しい努力が大きな変化を生み出す、そう信じれる生き方ができますように。
豊かになるには、掴んだその手を、離して
藤井風
まとめ
- エグザイルが多いほど人は快楽的になる
- 重荷を下ろすと日々の行動が変わる
- 反動の後、人生の目的が変わってゆく
次は9章「人生の教訓とトーメンター」です。