むか~し購入した書籍がふと目に入り読み直したら良い事書いてあるじゃん!と感激。
当時の私には全然ピンとこなくて「お坊さんの言うことはざっくりしてんな~、、」とぼや~とした感想だけ持って本を閉じたんですよね、確か。
評価が高いのも「お坊さんが言ってるからみんなすごいと思ってるんやろな」と超絶失礼な見方をしてました。
すいません!!
目次
反応しない練習・あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」
悩みは「消す」ことができる。そしてそれには「方法」がある――ブッダの「超合理的で、超シンプル」な教えを日常生活に活かすには? 注目の“独立派”出家僧が原始仏教からひもとく“役に立つ仏教”。
作者の草薙さんは宗派に属してない僧侶の方で、経歴がこれまた独特。
中卒→放浪→大検うけて東大法学部→シンクタンク→出家して僧侶…と端折ってる部分がすごく気になる人生を歩まれてます。賢い人が人生を歩むと何しても結果が出るというの体現されてるような人生。
繰り返し思い出したい文章
①結生した心が生み出す2次的行動
「結生」ってなんやねんという所からですが、過去のトラウマになるような強い記憶から発生する行動とか感情のことです。
例えば、過干渉の親に育てられた結果、社会に出てから上司からの確認や友人からの様子伺いですら「うっとおしい」と強いストレスに感じてしまう。本人は対人恐怖症なのか?と悩むけれど、その本質は過去の親からの過干渉が生み出してる妄想ですよ、という話です。
これ、思い当たることある人多いんじゃないかな。
私も母親が他人に対して異常なほど否定的な人だったので、私自身も幼少期から自分では変えようのないことまで(血液型や兄弟構成など)、沢山なじられてきました。だからこそ他人から悪く思われないよう必要以上に気をまわして疲弊する→人と関わるのが嫌になる、ということが多々ありました。
お世話になってる霊能者の方に、希死念慮の発端になった体調不良の原因について視て頂くと
「大人になって体にでるのは
はたらいて、かせいで、無理をしてと負荷がでる。
ことばにきをつけたり、いろんなものに気を使い、気をはり。
こうしなければと無自覚無意識に無理をしつづけることで、弱って発症することがおおい」
と言われました。
別の方にも「精神的な汗が原因」であると言われ、自分が周囲の反応を気にしすぎることを初めて自覚しました(みんなそれくらい気にして生きてると思ってた)。
そしてそういう生き方をしてると母親のような人が周囲に寄ってくる、という悲しい事実。
対策は、過去の怒りが残ってることを自覚すること。自覚することで徐々に影響を受けなくなっていくそうです。
もし思い出してしまったら「これは記憶にすぎない、幻」とはっきり口に出して言います。
この時大切なのは、なんども反芻してしまう自分の行動を責めたりしないこと。ただ、そこに怒りがあることを理解するだけでOK。
それだけで??と正直思いましたが、この「気づきこそが手放すきっかけ」になるそう。実践してみます。
結婚当時、義父からの過干渉もかなりのトラウマになっていて、今だに何か新しいことをやろうとすると誰かに邪魔されるのではないかと不安になったり、友達からの何気ないアドバイスすら「受け入れないと人格否定につながるのではないか(義父がそうだった)」と恐怖に感じてしまう私。
そうなると人と関わるのが怖い、誰とも関わりたくない→人は醜い、2度と人間に生まれたくない、と人類全否定までしてしまう始末w
このように感情に支配された時は「身体の感覚」に意識を向けると良いそう。歩くとか、ヨガをする、とか美味しい紅茶を飲む、とか。
そしてもう一つ大切なのが「原因となった人と距離を置く」こと。これがすごーく意外でした。
仏教って基本が「親を大切に」です。親不孝したら地獄に落ちるとはっきり言う僧侶の方もいらっしゃいます。だからこそ意外でした。
ここでの考え方は「今は、こんな感じでいっか」と思うこと。「今の状態が一生続く、だから私は親不孝者」と思うのではなく「人の心は移り行くもの、将来はどうなるかわからんし、今考えてもわからないことは考えない」と考えます。
なるほど~~~~~~。これなら私でも出来る。
②心は求め続け、乾き続けるもの
「あーしたい、こうしたい、なぜできないのか」
次々湧き上がる欲求に頭を悩ますのではなく、心はそもそもそういうもの、それが人生だと認めることで楽になるという考え方です。
私は常日頃自分の欲深さに悩んでたのですが(欲がなくなれば悩まなくなると思ってた)、そもそも心がそういう仕様なら、仕方ないってわけで、それを受け入れたらいいんだと思ったら楽になりました。
これが人生なのか~、、
死ぬまで試行錯誤するものなんだと思ったら楽だな、確かに。嫌いな人が一人もいない世界で苦しみや悩みのない生き方が出来るようになりたい!と夢みてました。はい、それが現世で出来たらもはや仏。
③世界は広い
苦しくなったら外を歩いて色んな人を見てみましょう。あなたを否定する人は自分が思ってるほど多くなく、世の中には優しい人がたくさんいて、みんな一生懸命生きています。
持って生まれたものがみんな違って、苦しみや悩みや人生の課題も違う。
私は自己否定の気持ちが強く、私さえいなければ…という思いが強いのですが、それって人生で出会ったほんの一握りの人に植え付けられた人格否定の傷でしかないわけで。楽しい思い出の方がずっと多いはずなのに、どうしてこうなっちゃったんだろ。
「私は私を肯定する」この言葉を自分に唱えたら良いそうなので、実践してみます。
まとめ
①で熱く語ってしまったので②③がめちゃ短くなりましたが、このエピはほんの一部で全体通してとても勉強になりました。
また時間空けて読んでみたら違う所が心に響きそうです。仏教も出会うお坊さんでイメージが大きく変わりますな。
良い学びになりました!