先日、田舎の温泉で不快なトラブルに巻き込まれ、幼少期を振り返るきっかけになる出来事がありました。今、自分が思い出して感じることを正直に徒然書いてみます。将来読み返したらどう感じるか、備忘録。
不愉快な説教
転勤族で地方暮らしもしてきた私は、僻地と呼ばれるような場所の温泉にもよく足を運んでます。そういう場所には地元のボス的なおばあさんが居て、マイルールを押し付けてくる、なんて話はよく聞く話。しかしながら私はそこまで強烈な方に会った事はなくて。
が、ついに〜私も経験しました。山梨にある温泉で。
お婆さんの勝手な思い込みによる難癖(いきなり説教された)だった上に、誤解だとわかった後にも謝罪もなく、こんな年寄りほんまにおるんか…と唖然としました。京都の職場で、似たようなおばさんにいきなり怒鳴られたことあるけど誤解が解けた後に謝罪してくれたから、嫌な記憶としては残らなかった。謝罪って大切だ。自分も気をつけよう。
私は年寄りへの嫌悪感を持つパーツを持ってるので、その後そのパーツが暴走しました。落ち着いた頃ふと思ったのです…私、こんな経験今までなかったんかな??
思い出す限り、ない
理不尽に説教される、誤解され罰せられる、他人の責任を押し付けられる…
ない。まじでない。
地方の田舎育ちだから友人の親だけでなく近所の大人たちも密接に関わって育ってきたけど、こんな大人おらんかったぞ。怒られる時はそれなりに理由あったし、理不尽に怒鳴り散らされるなんてこと、あっただろうか。
勿論、意地悪な先生や友達、同僚はいました。転校でいじめられたこともあるし、大人に嫌味を言われて傷ついたことも。だけど、自分の悪行を誤魔化す、他人のせいにする、相手を嵌め込んで自分が逃げるようなセコイ人はいなかった。あったとしてもトラウマになってないから誰か1人はフォローしてくれる人がいたのだと思う。
これらの理不尽体験は、結婚前後辺りから始まる記憶ばかり。私の中で「謝れない人」への嫌悪感がすごく強いことがこの日わかりました。
掘り下げると、この謝れない人へのトラウマができたのは夫が原因。昔の夫は本当に謝れない人でした。意味のわからない言い訳ばかりするので話が終わらずうんざりすることが数えきれないほどありました。ガスライターの父親に育てられた夫にとって謝罪すること(間違いを認めること)は罰せられる前段階にすぎず、だからこそ謝罪できないと理解できるようになったのは結婚後3年くらいかかったかなー。
「ごめんなさい」と謝れば、それ以上責められることない環境で育った私には想像のつかない境地で生きていた夫。謝ったら罰せられるってどんな環境よw収容所かよ。
同僚でも謎に謝れない人が居ましたが、彼女は摂食障害を患ってました。自分は謝らないのに他人のミスは徹底的に責めて認めさせるのでギョッとしたことも何度かあったな…
「謝れない」という行動は闇が深いっっ
だからこそ本気で向き合わずそういう人と出会ったらぱっと一線を引くのが正解だと今回のことで学びました。相手に見切りをつけたことを伝えたらパーツも安心するし、リラックスしてくれます。
その人がいつどう学ぶかは神様が決めること。
境界線が決壊する怖さ
トラウマ療法の本には「境界線が作られ、トラウマを克服したら変な人間が寄ってきません」と書かれてました。
つまり…境界線が崩壊するような出来事があると、それ以後苦労する可能性が高くなる、ということ。
「結婚」から始まった人間不信の悩み。
パーツケアで体調も良くなってきてるし、このままいけば以前のような生活に戻れるかも!と思ってたけど、温泉での出来事を通して「まだ終わってないぞ〜安心するのは早いぞ〜」と神様が教えてくれてる気がしました。
長生きすることへの嫌悪感パーツとも、話し合いを続けます。
まとめ
- 幼少期にはトラウマがない?
- 私のトラウマは結婚がきっかけ
- 境界線は人間関係に及ぼす影響が大きい
将来読み返したら、こんなこともあったなーと思えますように。