前回の母親に引き続き、幼少期の父親について思い出せる記憶と当時の感情を書いてみます。お父さん、苦手だったなー。
希薄だった父親との関係性
トラウマ系の体験記を読んでると、たまに自分の家庭とよく似た環境の方と出会います。
- 田舎の家父長制
- 母親が父方の親戚関係に苦労してる
- 父親はそれに何も対処しない
- 母親が家族に対してヒステリー、強権を振る
- 父親は家庭で存在感がない
家系の持つ因縁パターンの一つなんだと思う。私も父とそっくりな人と結婚し似たような家庭を作りました。自分たちの抱えてる問題から子供を作らない選択をしたので、連鎖が止めれただけで、何も疑問をもたず子作りしてたら、子供に私は母と同じことをしていたかもしれません。
普段の生活は、父と祖母は1階、母と子供は2階で過ごすのが定番パターン。たまに父が2階に居ると居心地が悪かった。食事は家族一緒だけど会話が盛り上がるわけもなく、末っ子の私だけがピエロのような役目を請け負ってました。たまに祖母や父を喜ばせるような言動をすると「あの子は要領が良い」と皮肉の意味で兄に陰口を言われたり、子供ながら母親の前では祖母と父を嫌わないといけないんだと思って生きてました。過酷。
父にとって私は、母親の子分のような可愛くない存在だったと思います。全然懐かないんだからそりゃ可愛くないわな。
事なかれ主義の父
父親は経済的に一家の大黒柱。にも関わらず、気の強い祖母と女王様気質の母の間で権限がないに等しく居てもいなくても変わらない人でした。徹底した事なかれ主義、何もしない。
怒鳴ったり暴力を振るったりということは一切ない穏やかな人だったので、その点は恵まれてました。経済的にもずっと家族を守り続けてくれましたし、肺がんで呆気なく死んだけど、それまでは病気一つしない人だったな。
そんな父が唯一行動力を見せたのが、母が別居を申し出た際。それまでどれだけ母と祖母が揉めようが、母が泣いてようが全くの無関心だったのに、妻に出て行かれるとなると自分の生活に影響が出るため、母と祖母に無茶苦茶な条件を言い出しました。
この時が父への嫌悪感のピークだったと思う。家族が苦しんでても知らん顔なのに自分に影響が出るとなった途端に、まるで子供が地団駄踏むような幼稚な反抗をするなんて、とショックでした。事なかれ主義は、あくまで自分以外の人間の苦しみであり、自分の事となると行動するのかよwとその身勝手さに言葉が出ませんでした。(こういう所、夫とそっくり)
総合的には父には感謝してますが、もし父が今の時代に生まれてたら結婚しないで1人で気楽に生きてたタイプだと思う。それくらい他人に興味がない人でした。昔って、どう考えても親になるのに向いてない人でも「成人したら結婚するもの」として家庭を持ち親になるのだから、ほんと恐ろしい世界。
それは今も同じで、それ位の感覚でないと結婚と子作りなんてできないのかもしれないけど。