昨年と同様に希死念慮が高まり最悪な状況になった私が死ぬ前に、と思い向かった場所が父のお墓参りでした。
死ぬ前に、というより、自死するならここで、と思って向かった故郷でした。
目次
3年ぶりの父のお墓
小さいころから通ってる場所ですが、普段は親に車に乗せて連れて行ってもらってた場所なので、無事たどり着けるか不安でした。
駅から近かったイメージなのでですが、もし歩ける距離じゃなかったらどうしよう(ど田舎なのでタクシーなんて走ってない)と新幹線の中でGoogleで検索するもなぜかお墓が出ない!なぜ?結構な大きさの墓地だったはずなのに…
前泊したホテルで、ようやく航空写真で探すことを思いつき、無事発見。墓地の名前ではなく管理してくださってるお寺の名前で登録されてました。
駅からも徒歩8分と予想を超えて近かったのでほっ。近くに大きなスーパーもあるので、お花も買え、翌朝無事お参りすることが出来ました。
掃除して、線香に火をつけ「こんなポンコツな娘でごめんね」と謝りました。あとはとにかく暑くて暑くてぼけ~~っとしてたような。
生前の父は、同居してる祖母の方にばかり目が向いてるようにしか娘の私からは見えませんでした。とはいえ、衣食住に困るようなことはありませんでしたし、父親とはこういうものなんだろうと思ってました。
今になって思います、父が結婚して子供を作ったのは「祖母の思う人生にしたかった」だけだろうなぁと。だから母にも子供にもあまり興味がなかった。迷惑をかけないでいてくれる存在でいてくれればそれでよかった。
94歳まで長生きした祖母が老衰で亡くなった後、わずか数年で後を追うように父はガンでなくなりました。
感謝の気持ちもたーくさんあるのに、父を思うと「愛情不足」という思いが残ってしまう。昭和の団塊世代あるあるなのでしょうか。
関連 先祖供養をして知った供養が届かないケース【本人が問題】
転勤族には墓参りはハードル高い
いや~~~しかし、遠方に暮らす身としては墓参りってハードル高い!!!
今回も初日は新幹線移動のみでホテル宿泊→翌日に墓参りというスケジュールでした。頑張って年に1回が限界かなぁ…
神仏祈りより先祖供養を、といわれる理由がよーくわかりました。そういう意識じゃないと後回しにしてしまう。
お墓をどこで買うか、老後の過ごし方にも影響が出ますね。
生きてる間にやりたいこと
お墓参りして思ったこと、人生に絶望して死ぬのは嫌だなぁと思いました。
この世は地獄だと覚悟を決めて、やれることをやりきりたい。せめてもう一度もう一度健康になってから死にたい。私には出来るはず。
神様がついてる。仏様もついてる。父もついてる。大丈夫、大丈夫。
しかし、人生は辛いな。いつ浮上出来るんだろう。
まとめ
- 希死念慮の再発で心身の状態は悪い
- 3年ぶりの父の墓参り
- 地獄を生き抜きたい
やっぱり夏は苦手だ。早く涼しい時期が来ますように。