先日河口湖へ向かう道中、夫と「子供の頃やりたかった夢」について話しました。
タイムリーに読んだ本田健さんの「40代にとって大切な17のこと」に「20代の頃の夢を思い出してみる」というのがあり、良い振り返りになりました。
これの30代バージョンを30歳の時に読んで始めたことを今でも続けてるので、本田さんにはとても感謝してます。
目次
思い出した、私の夢はスッチー!
「子供の頃何になりたかった??」
夫から聞かれて言葉に詰まりました。え?なんだっけな?
中学高校は私立の英語教育に力を入れた一貫校だったので、影響されまくりで「英語の翻訳者」でした。大学生になってからは海外によく行く生活をしてたので「客室業務員」。
当時、航空業界を目指す人の愛読書「AirAStage」を毎月買うのを楽しみにしてました。
飛行機に乗るたびに客室乗務員の綺麗なお姉さまを羨望の目で見てました。一番の憧れはシンガポール航空。制服がエキゾチックで、振る舞いが美しく、何もかもが素敵だった(客室乗務員の方が見たくてシンガポールエアーに乗ったこともあった)。
しかしいざ就職活動が始まると、無難に国内企業のエンジニアとして就職したのでした。毎月買ってたAirStageはなんやったんや…
あの時、もう少し頑張ってみても良かったんじゃない?!自分、と思う^^;
当時は超氷河期の就職難で、学生全体の空気も重たかったし、普通に就職するだけでも難しいという固定観念が自分の中にあり、つまりビビったわけです…はい。エンジニアもなりたくてなったんやけどね。
ちなみに夫は「弁護士」。東大落ちて「弁護士は無理だ」と思ったそう。東大受からなくても弁護士なってる人いるし、若さゆえの諦めだったと申してます。
そんな二人が同じ会社に就職して出会い、今現在に至ります。弁護士と客室乗務員として出会ってたら、また全然違う結婚生活だったろうね~と笑い合いました。妄想の可能性は無限大。ははは。
海外生活への想い
もう一つ、自分の中でやってみたらよかったな、と思ってるのがワーホリ。
学生時代は30か国ほど海外滞在し、マイノリティーとしての貴重な体験をしました(当時は円が強かった)。恋愛もしたし海外移住も考えました。でも結局、海外で働くという選択はしなかったんだよな..
新卒時代は同僚に恵まれ東京を謳歌しその中で夫とも出会ったので「大きな後悔」というわけではないですが、今でも自分が選ばなかった海外生活をされてる方のブログを読むのが大好き。どこか別のパラレルワールドで生きてる自分がチャレンジしてたら嬉しいな、と思います。
魂が持つ性格
夫から見ると私は「個人主義、公平性重視」の意識がとても強いそう。
ヨーロッパでの転生回数が多く、キリスト教を母体とした国で過ごした期間が長いことを知り、今は自分でも納得してます。
仕事が起動にのり、海外に拠点を作るかな~と準備してたらコロナが始まりました。あれはびっくりした。そこから私の体調も転落→今に至ります。人生のタイミングじゃなかったんでしょうね。結果、日本で神社仏閣巡りしまくり、過去世でご縁を頂いてた氷川の神様と再会し、大きな転機となりました。
働き始めて20年、40代って人生を振り返るには良いタイミングなのかも。
もう一度やってみるのもいいじゃない
著書の中で「20代の頃諦めた夢をもう一度やってみるのもいいですよ」と書かれててハッとしました。
30代がむしゃらに駆け抜けて、40代になりふと我に返って、もう無理と思ってた夢を少しだけ叶えてみるとのも良いかもしれない。
そう思うとすごくワクワクしてきました。本田さん、やるな~
フライト時間が辛いかな、と思ってた国にも行ってみよう。小さな夢でも叶えていけば、自分のことをもう一度好きになれる気がする。
60代70代の方から学ぶ
最近60代のシニア世代の方のブログを読むようになりました。本田さんも推奨されてます。
60代で自分のやりたいことを見つけて邁進されてる方のブログのおもしろいこと!
60歳でこんなことも出来るんだ、こんな風に生きれるんだ、まだまだ生きてて楽しいかも、と思えるようになりました。
そのための土台を今作ってると思うと余計ワクワクするし頑張れる。こんな風に未来にワクワクするような日が来ると思ってなかったので、自分でも驚いてます。
まとめ
- 20代の頃の夢を思い出してみた
- もう一度やってみようと思う
- 素敵な60代を夢見て土台作り
そろそろこの希死念慮から始まった参詣ブログも一区切りつけようかな、と思ってます。こんな日が来るなんて、幸せなことです。