内的家族システム(IFS)の著書「悪い私はいない」から学んだことの備忘録です。今回は9章「人生の教訓とトーメンター」です。
9章:人生の教訓とトーメンター
トーメンターとは、悩ますという意味を持つ「トーメント」と指導者「メンター」を合わせたIFSの造語。
人は特定の目的を持ち人生に存在する
私達は特定の人生の教訓を学ぶためにここにいます
…こういう文章読むとホッとする自分がいます。それってなんのために自分が今ここにいるのかわからないから(悲しみー)。
いつの日か、わかる日が来ますように。
トーメンターから教わる癒すべき問題
トーメンターによって刺激された感情は、たいていの場合、自分のパーツを知るための貴重な手がかりになります。
感情を刺激され、防衛パーツが反応することで隠れたエグザイル(家系や幼少期に背負った重荷を背負ってる)に気づくことができる、ということなのですが、注意も必要で。あくまでも「たいていの場合」であり、全ての不快な出来事が貴重なトーメンターとの出会いという意味ではありません。
何かの学びを得るために虐待的な関係を続けることを推奨するものではありません。そこから離れることが1番の学びであることもあります。
この判断がアダルトチルドレン持ちは判断が難しいぞ…その判断基準が何か説明あれば、と思ったのですが特に記述はありませんでした。
私は「とりあえず傷を負ったらその意味なんて考えずに一旦撤退する」と過去の経験から決めてます。ぐずぐずしてたら致命傷を負わされるから。問題はすぐに撤退できない相手だった時なんだよな…義両親とか職場の上司とか。離婚や退職となると膨大なエネルギーが必要です。傷を負った状態で向き合えるか否か。
大切なのはパーツケア
筆者の方は「カルマ」とか「人生に起きることは全て必然」というような考えは苦手だとはっきり書かれてます。スピに傾倒した時に、人生に起きた全てのことを学びとして肯定的に受け入れようとしてキャパオーバーした経験がある私としては、ありがたい解釈でした。
とにかく「パーツが傷ついた」と感じたらケアすることが大切!!!
トーメンターかどうかは、傷が癒えて落ち着いた時に考えればよし。
まとめ
- トーメンターはエグザイル救済の機会
- 全ての苦痛がトーメンターではない
- パーツが傷ついたらすぐにケアする
次は10章「内なる物理の法則」です。