神棚を持つ人生になってふと思い出すのが、今はなき実家の神棚、そして同居していた祖母のことです。
目次
手を合わせたことがなかった実家の神棚
実家の神棚は私が生まれる前から台所にあり、食事中に目に入る当たり前な風景の一部でした。
が、手をあわせた記憶はなし^^;
仏壇には毎日手を合わせてましたが、なぜか神棚に関しては手を合わせるように言われたことが一度もなかったのです。
大切にお世話してたのは、祖母だけでした。なので今となってはどこの神様を祀ってたのかも謎。
信心深かった祖母
当時、祖母が信心深いとは思っていませんでしたが、思い返すと神仏や縁起物を大切にしてました。
家族にそれを強要することがなかったので、祖母の部屋にはそういう物がある、年寄りのインテリアとしか捉えてませんでした。
戦争を経験してる世代であり、非常に苦労の多い人生を送った人です。
夫を早くに亡くした祖母は、女手一つで3人の子供を育て上げました。
当時は女性の社会進出なんてない時代。朝から晩まで働き「いつ寝てるの?」と周りの人に心配されるような生活だったそうです。それでもお金はなかった、と言ってました。
当然お風呂もなく、大きなたらいにお湯をわかして、そこに入って兄弟で体を洗ってたと父は笑いながら言ってました。
ようやく子供が独り立ちしたと思ったら、乳がん発覚。そして長男が車の事故で亡くなります。
自分ではどうしようもない不運。
よく心折れず、神仏に向き合え続けたな、と祖母の強さを今更ながら感じます(実際祖母はとても強い女性で家族としては大変な面もあった)
そしてその恩恵を家族みんなで知らず知らずのうちに受け取っていました。
祖母が生きてるうちにそのことに気づき感謝を伝えたかった。神棚の神様にもお礼したかった。
祖母は亡くなったし、神棚は母が処分したので、もう遅いけど。
「神頼み」それを笑う人間は幸福な人生を送った人でしょう。
亡くなる前の祖母
亡くなる前に祖母は、長男の事故現場へ連れて行ってくれと、父に頼みました。長らく口に出すことも避けていた場所なので、父は驚いたようでしたが、祖母はそろそろ自分が死ぬことをわかっていたのかもしれません。
そしてある日の深夜、私を呼び「今日はおとうちゃん(亡き夫)が来てるからお茶を入れてくれ」と言ったのです。
その瞬間、畳の上を誰かが歩く音がメシッメシッとするではないですかー!
私にとっては会ったこともない、仏壇の中にいる祖父です。ぞぞぞぞぞ~~~っと体震えたのを覚えてます。
今思うと、お迎えに来ていたのかもしれません。あ~~霊感なくてよかった。
全てが今の私に繋がってる
貧乏で苦難が続いても決して腐ることなく、子供に愛情を注いで育て上げた祖母、定年まで勤めあげ家族を養った父、節約に努めた母。
そのおかげで、私と兄弟は十分な環境で教育を受けさせてもらい、お金に困ることのない人生を歩ませてもらってます。
全部繋がっていて、自分だけの力ではなく、そして当たり前ではないこと。
祖母にも父にも母にも、言いたい恨み言はあるけれどw、感謝の気持ちを忘れずに生きていこうと思います。
自宅の神棚にすら手を合わせたことのない人生でしたが、残りの人生は神仏とともに歩みます。
おばーちゃん、おとーさん、死んだらまた会えるかな。