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【複雑性PTSD】幼少期を振り返る、母親のこと。

前回に引き続き幼少期の振り返りをしてみました。

洗脳状態だった幼少期

子供の頃は「とにかく母親はかわいそうな人で、味方にならないと、助けないと」と思い込んでました。

大人になってその呪いが解けると、母親に対する嫌悪感が怒りとなって現れました。周囲の母親への対応も絡んだ糸が解けるように理解できるように。私は「見えない、聞こえない、考えない」状態で母親にとって都合の良い子であり続け、そうすることで自分の身を守ってるだけでした。

母親は何がしたかったのか

メンタルが弱く仕事は続かず、家事も苦手で最低限のみ、社会的な責任からは逃避する、それが母親でした。父と見合い結婚する以前からすでに仕事は辞めており実家で家事手伝いをしてただけの母。今で言うとニート。

父親との結婚の理由を聞いたら「実家で家事をやらされるのが本当に嫌だったから…」と答えた母。仕事もせず家事もせず、一体何をして生きるつもりだったのだろう、まじで謎。親戚から持ち家と姑付きの父との結婚を勧められたのも納得。周囲は母がどんな人間かわかってたんだろな〜

そんな母親が、夫を早くに亡くしシングルマザーとして3人の子供を働き育てた祖母と相性が合うわけもなく、全然うまくいってませんでした。父親も2人の不仲に無関心。大人が殺伐とした家庭では、子供がピエロのようになるしかありませんでした。

母は被害者意識が強く「自分は正しくて良い人、私を幸せにしてくれない周囲が悪い」と本気で思ってる人でした。他力本願の究極系。自信はないのにプライドだけは異様に高く、家族内では偉そうに指図したりつまらない揚げ足取りをするのに、家庭から一歩外出ると、人を前に押し出して自分は陰に隠れ、高みの見物をするような人でした。書き出して見ると最悪だな😥

その気質は祖母の死後、更に悪化しもうお手上げ。よく父親は一緒に居れるな、と感心するほどでした。そんな父も亡くなり、実家とは完全没交渉中です。もう疲れた、母のことは兄に任せてます。母は周囲に頼る人が居れば居るほど駄目になる人だった。

容姿を極端に気にする

もう一つ異様だったのが「痩せることへの執着」ことでした。自分はできる限り楽をして他力で生きるのが当然と思ってる母でしたが、人目は異様に気にする人でした(なので一歩家から出ると大人しい面を被る)。

他人から悪く思われないことだけは人一倍執着していて、その中の一つが痩せていることでした。子供の私に道を歩く女性を見るたびに「あの人よりお母さんは太い?」「どっちが細い?」と絶え間なく聞いてくる人でした。もうホラーだわな…大人になった私はそんなこと歩きながら考えたことないわw

似たような人を惹きつける

不思議なもので、社会に出てから母親に似た人とに好かれて関わることは何度もありました。耐性ができてるせいか最初全然気付けないのです。周囲の人から「あの人とよく仲良くできるね…」と言われたことも一度や二度ではありません。

他力本願、他者への配慮が希薄、快楽主義、体型への執着(摂食障害)

気がづいた時には手遅れで、ストレスが限界に達すると黙って縁を切る、と言うことが何度かありました。これってDV被害者の女性が繰り返すのと同じ。周囲からしたら何してるの状態ですし、下手したらまともな友人を失いかねません。

先日読んだガスティングの本に書かれてた「友人に求める条件リスト」を作成したのでこれからの人間関係に期待します。

反面教師という意味では、自分の問題に向き合う大切さを教えてくれたのは母親なので、その点は感謝してます。他責のままでは地獄から抜け出せない。

内的批判家パーツ

私の中に居る内的批判家パーツは、子供の頃の母親です。四六時中目に入る人や物を片っ端から批判ばかりしてる人でした。働きもせず家事も苦手な専業主婦が一体何を根拠にあんなに偉そうに他人をジャッジしていたのだろうか…前世で役人とか殿様とかそういう人だったんかなw

学校から帰宅するといつも居間で横になりながらTVのワイドショーを見てる人でした。それでいて「私がどれだけ大変で苦労が多いか」を延々と語れる人だったから、すごいよな…もちろん風邪一つ引かない健康体。

そんな母親のことを守らねば、と母子密着な幼少期を過ごした私は、そうすることで傍若無人な母親から自分のことを守っていたのでしょう。悲しみー。

次は父親のこと、振り返ってみようと思う。